
私は20年来猫を飼っています。初めて飼った猫は三毛猫でした。その三毛猫の事は以前このブログである程度詳しく綴りました。
今回は私達夫婦にとっての次女、キジトラ猫の事を綴ろうかと思います。ちなみにいつかはわかりませんが、三毛猫の様にキジトラ猫視点の記事も書こうかと思っています。が、とりあえず今回は人間として思うところをつらつらと。先に結論を言うと、捨て猫というものに対する心のもやもやになります。

捨て猫
キジトラ猫は捨て猫でした。今から約13年前、出勤途中の住宅街の一角に、小さな子猫達が集団で集まっている事に気付きました。親猫の姿は見えません。4,5匹のおそらく兄弟猫達のようでした。地方都市では全体的にそうだと思うのですが、高松市でも住宅街の空き家率は高まっており、子猫達はその空き家の敷地周辺で生活をしているようでした。また、誰かが置いたであろう皿に盛られたキャットフードが、その空き家の入り口辺りに置かれてありました。
私が初めてその子猫達を見た時、子猫達は近づいてくることは無いものの、そこまで人間を嫌っているようではありませんでした。私は微笑みながら朝その空き家の前を通過し、夕方子猫達を目で追いながらまた家へと帰っていました。そんな日が二日ほど続いたでしょうか。朝いつもの様に空き家の前を通りかかると、キャットフードとお皿が無くなっていました。また奥にちらっと見えた子猫達は、怯えたように皆で集団となってさらに奥へと走り去ってしまいました。
そして夕方、また空き家の前を通る時私は目撃したのです。長い竹ぼうきで子猫達を容赦なく叩き、追い払う人の姿を。その人は隣に住んでいる人の様で、一通り子猫達を追い払ったら箒を玄関へ立てかけ、家に入っていきました。私はとても悲しくなりました。しかし、私はその時初めて気付いたのです。
「私にそれを非難することができるのだろうか」と。
私にとってその子猫達は「他人事」だったから、ただ「かわいい」で済んでいたのです。当事者だったら?もし自分の家の庭に、野良猫が突然複数匹住み出したら?子猫達をただかわいいと眺めていただけの私は、果たして箒で猫を叩いていた人を非難できるのでしょうか。子猫達から見たら、結局は同じなのではないでしょうか。「僕達を助けてくれない」という点において。
また翌朝、空き家の前を通った時、少し門先に出ていた子猫達はまた皆一斉にさっと敷地内の奥へ走り去っていきました。しかし、その動きに若干ついて行けない子猫がいました。明らかに弱っているのです。その子猫はキジトラ柄で、最も体が小さいおそらく末っ子の子猫でした。
夕方、また箒を持った隣の人が子猫達を追い払っていました。朝見た時よりもキジトラ猫は更に弱っているように見え、箒の攻撃をまともに受けているように見えました。私はいてもたっても居られなくなり、家に着いた後かつお節を握りしめ、家内と一緒へ空き家へ向かいました。
手のひらいっぱいにかつお節を乗せ、私は空き家の門先から中へ向けて手を差し出しました。他の子猫達は一斉に奥へ走り去りました。キジトラ猫は「シャー」と子猫ながらに目いっぱいに威嚇しながらも、フラフラした足取りでこちらに近付いてきて、一心不乱にかつお節を食べ始めました。私は家内と目配せをして、かつお節を食べ終わったキジトラ猫を抱きかかえました。こうしてキジトラ猫は我が家の家族になったのです。
その後、他の子猫達がどうなったのか私にはわかりません。それほど日数を経ることなく、その空き家はまた何もない空き家へとなっていました。キジトラ猫の様に誰かに拾われたのか、それとも不幸な結末があったのか。我が家には先住猫(三毛猫)がおりさすがに3匹目は無理なので、私はキジトラ猫を拾ってからしばらくはその空き家の前をあまり通らないようにしていたのです。その結局は「見て見ぬふりをした」という決断も、何か私の心にトゲが残ったままになっています。

キジトラ猫
拾ってきたキジトラ猫は何とか持ち直しました。動物病院へ連れて行くと、生後2か月くらいのメス猫との事。体重はわずかに300gちょいくらいしかありませんでした。
それから約13年。未だにキジトラ猫は本質的には人間を信用していません。キジトラ猫がお腹を見せて寝転がるのは私と家内だけです。その私と家内も、掃除などで何か柄の長い物を持っている時は近付いてきません。生来の性格もあるのかもしれませんが、「捨て猫」として過ごした日々がキジトラ猫の心に大きな傷をつけたままになっています。また顔つきも三毛猫の様な「のほほん」とした顔つきではなく、どことなく険しい顔つきで、常に何かに怯えている感じです。幼少期の栄養不足も祟り、あまり体も大きくはならず細身で、客観的に見て「かわいい猫」では無いのかもしれません。それでも私はこのキジトラ猫を我が家へ迎え入れる事が出来て本当に良かったと、今も改めて思います。

捨て猫をどうすればいいのか
先日、ウォーキング中に以下ポスターを見かけ思わず考えてしましました。

未だに私には分かりません。子猫達へエサをあげた人、子猫達を箒で追い払った人、それをただ見てただけの人、その子猫達を拾った人、そしてその子猫達の内1匹だけを飼った人、それぞれの行動が正しかったのか間違いだったのか。
ただしこれだけは言えます。
生き物を捨てる奴だけは絶対に悪い。
うちのキジトラ猫が「不幸な動物」とは言いたくないけれど、心に傷を負った動物が1匹でも地球上からいなくなるといいな、と私は思います。
香川県では保護犬・保護猫が新しい家族を待っている施設があります。
「ペットを飼いたいな」と思っている方は、是非一度保護された動物たちにも目を向けて欲しいなと思います。
まとめ
- 捨て猫だった我が家の次女・キジトラ猫の事を綴りました。
- 捨て猫問題は難しい問題ですが、いつかこうした動物達がみんな幸せに暮らせる社会になればいいなと思います。
- 多くの保護犬・保護猫が新しい家族を待っていますので、ペット飼育にご興味のある方は愛護センターにも目を向けてみて下さいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。