ドラえもん談義
テレビ朝日HPより引用

以前、私と息子が共通して初めて読んだ漫画で「ドラゴンボール」を紹介したが、今回はアニメ「ドラえもん」のお話。

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息子とアニメ

息子は現在小学4年生。ほぼテレビを点けない我が家なので、息子は流行りのアニメとかはほぼノータッチ。幼少期はアンパンマン等を意図的に見させたりもしたが、イマイチはまらず。ただ割と長い間「パウパトロール」にはお世話になりました。

公式HPより引用

ただこのパウパトロール、小学4年生ともなってくるとさすがに対象年齢を外れてくるようで、気付けばここ最近は全く興味を示さなくなった。パウパトロールの事は、感謝も込めていつか詳しく綴ろうかと思っているのだが、今回はそのパウパトロールに代わって今の息子の主役に躍り出た「ドラえもん」の事をつらつらと。

ドラえもんと私

「人生で一番多く見たアニメは?」と聞かれたら、恐らく私は「ドラえもん」になる(次点で「新世紀エヴァンゲリオン」)。それはもちろん今のドラえもんではなく、大山のぶ代さんが声をあてていた昔のドラえもんだ。私は世代的にこの「昔のドラえもん」黄金期にあたり、金曜日の夜7時は毎週ドラえもんを見ていたし、それこそ今の息子と同じ小学4年生の頃なんて、何の予定もない週末はレンタルビデオをダビングした映画シリーズを繰り返し見たものだった。それこそ誇張表現ではなく、本当にビデオテープが擦り切れる程に。そしてそれは小学生が終わる頃まで続いた。

「ドラえもんの何がそんなに面白いの?」。熱心にドラえもんを見る私に母がそう尋ねた事があったが、当時の私にはそれをうまく言葉で表現することが出来なかった。

ドラえもんの何がそんなに面白いのか。

無理やり理屈を後付けすれば「夢がある」とか「わくわくする」とか何とでもそれっぽい事を言えたのだろうが、どれもピンと来なくて私はただ沈黙を守った。言葉に出すとドラえもんの本質から逸れてしまうような気がしたからだ。

画面の中で「いつもの5人」は躍動する。「常識」なんていうタガは簡単に外れる。私も彼らと一緒に旅をする。多くの出会いがあり、冒険があり、戦いがあり、そして別れがあった。

箒に跨り「チンカラホイ」と唱えれば空を飛べた。

ピリカ星を救う為、ラジコン戦車を駆って宇宙空間に飛び出した。

歴史を直すため、決死の覚悟で妖怪退治に向かった。

リリルが自らの意思で消えた事を知って、本気で泣いた。

そこに理屈は不要だった。きっと私は、ただ友達と一緒にいたような感覚で彼らに会っていたに過ぎないのだ。

「ドラえもんは教育に良くないから我が子には見せない」。私の育ったド田舎にも稀に教育熱心なちょっとした富裕層がいて、そんな話を聞いたことがあった。確かにのび太は自己解決を目指さず、直ぐにドラえもんに頼る。それはきっとよくはない事なのだろう。私は自分の友達が否定されたような気がして随分悲しい思いをしたが、同時に、ドラえもんを見てそんな表面的な部分しか見えない人達がいることに驚きもした。私は裕福でもなければ、何かに秀でた才能がある訳でもなかった。けれどドラえもん達と友人になれた事は、当時の私にとってどんな金銀財宝よりも価値が高かった。そしてその考えは、大人になった今も全く揺らいでいない。

完璧な人間などいない。人は良いところも悪いところもある。少なくとも、私の周りにいる人たちは皆そうだった。ドラえもんは、そんな当たり前の事を当たり前に描いていた。だからこそ、私は彼らに親近感を抱き、友達になりたいと願ったのだ。

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ドラえもんと息子

博学なのにドラえもんは簡単な過ちを犯す。しかしそれが冒険の合図。

「行ってみようぜ!」後先なんか考えず、ジャイアンは簡単に一歩を踏み出す。

「待ってよ~」と、怖いながらもスネ夫はジャイアンの後を追う。

しずかちゃんは冷静沈着。偽らず、正直に自分の気持ちを話す。

のび太はいつだって、やるときゃやる。

息子が飛び跳ねている。地球に音楽が戻ってきて心底嬉しそうだ。落下するピー助を何とかしようと、手を伸ばしている。最後、ピー助は空を飛べた。息子は安堵する。

「いつもの5人」と旅をしている息子を眺めながら、私は「小学4年生だった私」を見つめる。約束事の就寝時間はとうにオーバーしているが「友達と遊んでいるならしょうがない」と諦め、私も一緒に輪に加わった。

ドラえもんの映画より

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