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絵本と私
ここ1年半位だろうか、現在9歳の息子が絵本よりも活字が多い本を読むようになった。絵本メイン→児童書メインへの転換は我が子の成長を感じて嬉しい反面、少し寂しくもある。私は可能な限り息子が読んだ本は合わせて読むようにしてきたが、絵本の面白さにすっかり魅了されてしまっていたからだ。特に『ぐりとぐら(なかがわりえこ作)』等、昔から名作と呼ばれる絵本は大人になってから読むと「よくぞここまで子供目線で物語を作れるものだ」と全く別視点で感心してしまう。「名作とはいつの世代になって読んでも、常に新しい発見がある」。いつか誰かがそのような事を言ってたような。絵本棚を眺めると、その1冊1冊に思い出が蘇る。ボロボロな上に日焼けした背表紙達は、共に息子を、そして私を育ててくれた戦友なのだ。

『魔女の宅急便』読書感想文
『魔女の宅急便』角野栄子:作 林明子:画 福音館書店
そんなこんなで魔女の宅急便。上記で触れたが私は「息子の読んだ本は合わせて読む」ようにしているため、絵本→児童書となってくると地味に時間が取られるようになってきた。特に、私が全く興味の無い本を図書館から借りて来られると、私自身の遅読も相まって本来自分が読みたかった本が全く読めないという事態が度々起こる。そこで最近は、息子用の本は「私も一緒に選ぶ(実際はほぼ私が選ぶ)」ことで、全部とは言わないがある程度児童書も読み切れるようになった。もちろん魔女の宅急便はその様な経緯で選ばれた1冊だ。
魔女になると決心がつけば(中略)十三歳の年の満月の夜をえらんで、ひとり立ちをすることになります。この魔女のひとり立ちというのは、自分の家をはなれ、魔女のいない町や村をさがして、たったひとりで暮らしはじめることです。
ー8ページより引用
知ってますよ~。若者はいざ知らず、ある程度年を重ねた日本人で魔女の宅急便を知らない人はいないのではないだろうか。私も例に漏れず宮崎駿監督のアニメ映画『魔女の宅急便』は、幼い頃だけに限らず大人になっても何度か視聴した。しかし息子が生まれてからのここ10年以上は観ていなかったので、何だか記憶の答え合わせをしているかのように楽しく読み始めた。「おおむねアニメ通りだよね」と思いながら読み進めると、中年男性の涙腺は突然崩壊する。
「ねえ、とうさん。小さいときにしてくれた、たかいたかい、して。ほら、あたしのわきの下に手を入れて、よくぽーんぽーんともちあげてくれたでしょ。あれ、もう一度やって」
(中略)
「ふう、おもいな。いつのまにこんなに大きくなっちゃったんだ。もう一度だ」オキノさんはちょっとよろけながら、もう一度手を入れて、キキをもちあげました。
ー32ページより引用
試合終了。もう戦えません。いやアニメにもあった場面だけどさ。これ相応の子供がいて泣かない父親いるの?アニメは尺の都合上色々カットしているけど、そら宮崎駿もここ外さないよね。「名作とはいつの世代になって読んでも、常に新しい発見がある」。はい名作決定。
その後キキはひとり立ちし、やがて魔女のいない海辺の大きな町で宅急便を始める。最初はなかなかうまくいかないが、様々な宅急便の依頼を通して徐々に町の人たちに溶け込んでいくというストーリーだ。13歳という年齢設定が絶妙。大人と子供の境界線、色々と拗らせるもんね。
いくつかある依頼の中で私が好きだったのは、女の子からの依頼で手紙を男の子に届けるお話だ。キキは依頼者「ミミ」の手紙を預かる。ミミはその手紙を、今日誕生日の幼馴染の男の子へ届けてほしいという。名前を秘密にして。自分と同い年なのにいやに大人びた格好、言動にムッとしながらも依頼を請け負ったキキは、ダメだと思いながらもミミがどんな手紙を書いたのか気になって、配達途中に読んでしまう。読み終えて手紙を封筒へしまう瞬間、手紙は風に飛ばされて川に落ちてしまって・・・。続きは実際に読んでみてほしい。13歳の少女(少年)の思春期真っ只中の心情がとてもうまく描写されて、何ともすがすがしい気持ちになった。
「スランプになって魔法が使えなくなったり、トンボを助ける飛行船のシーンとかないんだね」と思って最後まで読んでびっくり、これ続編すごいあるのね。なになに『魔女の宅急便 その5』でトンボと遠距離恋愛19歳で、『その6』で結婚!して双子産んで子供の旅立ち・・・。しょうがない全部読みましょうかね。とりあえず本巻はひとり立ちから1年経って里帰りまでで終了。少し大人になったキキとご両親との再会シーンもじんわりきた。軽く涙目になりながら読了。ご馳走様でした。

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