
今年の夏、私はコロナ禍以来となる6年ぶりの里帰りをすることにした。少額とは言えない資金提供を受けて購入した自宅マンションの売却報告もあるし、一応長男なので親孝行としての顔見せ&お墓参りの意味もある。よそ様の家庭事情はあまり存じ上げないが、家内に言わせると私の家庭は少し異質に見えるらしい。まあ確かにそうだとは思う。なぜなら私は今までの生涯、全部合わせても父と30分と話したことが無いのだから。
この記事の目次
父と沈黙
約20年前、婚約者(今の家内)を連れて初めて帰省した際、新幹線から降りた私達を拾いに来てくれたのは父だった。私は一言言葉を交わし、家内と一緒に後部座席に座った。家に着き車から降りた家内は青ざめた顔で私に聞いた。「私何かした?それとも喧嘩してるの?」と。言われて初めて気付いたが、家に着くまでの車中30分間、私と父は「いつものように」無言だった。

父は仕事の人だった。今でいうところの「ブラック企業」みたいな働き方が当たり前だった昭和の時代においても、当たり前に3か月連続出勤等がざらにあった父の働き方は異質だった。朝、子供達が目を覚ますと既に出勤しており、夜、寝る頃にはまだ帰宅していなかった。サービス業ゆえたまの休日も平日で、私は父にどこかに連れて行ってもらった記憶がほとんどない。中間管理職として安月給で会社にいい様に使われていた父は、子供達からするとほとんど「他人」だった。私は、物心つく頃には既に他人と化していた父とどう接すればいいのか分からなかった。そして、それは父も同じだった。父の生来の寡黙な性格と相まって、私達の間には約束事の様に自然と「沈黙」が横たわる様になった。
ペシャンコの財布
いくつか事情があり、5歳の頃私は1月以上入院することになった。そこそこ深刻な手術も行った。退院し1週間ほど経った頃だろうか、どうしてかは思い出せないが私は父と二人きりで病院へ向かう車の助手席に座っていた。父は相変わらずあまり喋らなかったが、なぜだかとても嬉しそうだった。
道中「ちょっと待ってて」と言い車から降りた父を待っている際、ダッシュボードに乱雑に置かれたボロボロの父の折り畳みの財布が目に止まった。いつもペシャンコなのに、この日は不自然に膨れているように見えた財布が珍しく、私は何となくその財布を手に取って中を開いた。
見た事の無い数のお札が挟まれていた。
子供心にそれが大金であることが分かって、私は直ぐにその財布をダッシュボードに戻した。すぐに戻って来た父は「いつものように」無言で車を走らせた。私が1月余りを過ごした病院に着くと、また父は「ちょっと待ってて」と言い、今度は財布を持って病院へ向かった。しばらくして戻って来た父は財布をダッシュボードへ投げ入れ、今度は来た道を逆方向、自宅へ向け車を走らせた。
財布は「いつものように」ペシャンコになっていた。
親子
先日、息子がこれから始める歯科矯正の費用を支払った。矯正が終了するまでの一括払い、99万円との事。今の時代はありがたい事にクレジットカード払いが出来るとの事だったので、私はカードだけを入れたペシャンコの財布をリュックへ入れ息子と共に歯医者へ向かった。

息子が治療している間、私は待合室でぼんやりと父の事を思い出していた。『一杯のかけそば』を読むと、必ず泣いてしまった父。今の子供達とは話さないくせに、昔撮ったホームビデオを一人ひっそりと見ていた父。初めて孫を連れ帰った時、居間の壁を事前に送っていた孫の写真いっぱいに飾り立てていた父。
矯正1回目の診療を終え、息子が待合室に戻って来た。しばらく経ち、受付から名前を呼ばれる。私は「ちょっと待ってて」と息子に言い、一人受付に向かった。金額が金額な為、受付の方は無言で領収書を示している。事前に聞いていた私は、淡々とカード支払いを済ませ、息子の所に戻った。
ペシャンコの財布をリュックへしまっている私をじっと見つめ、息子が聞く。「嬉しそうだけど、何かいいことあったの?」
私は「なにもないよ」と応え、息子と一緒に炎天下の駐輪場へ向かった。