
B.革新が始まった2026年9月末。私の応援する地元クラブ「香川ファイブアローズ」も初戦を迎えようとしていた。既に開幕節を迎えていた他クラブの熱狂を横目で見ながら「うちらも負けないぞ!」と、私もアウェイ熊本ヴォルターズ戦を楽しみにしていた。9/26(土)、仕事を終えHPで結果を確認すると、香川ファイブアローズは30点差をつけられて負けていた。もちろん残念だったが「オッケーオッケー!今年は強敵揃い!これからこれから!」と、私は半ば覚悟していた結果にも、ポジティブに捉えていた。
その二日後、香川ファイブアローズの社長兼GMの生岡氏は辞任を発表した。
私は2023-2024シーズンからブースターになったいわゆる新参者で、私の記憶が確かならば生岡氏もこのシーズンから香川ファイブアローズの経営の舵取りを担った新参者だった。当時の高松市総合体育館はガラガラで、我が家はたびたび無料チケットを手に入れては左右が膨大に空いた1F席でのんびり選手達のプレイを眺めていた。
「お友達や知り合いをお誘いあわせの上、是非次節もご来場ください。」
試合後、とことことコート中央に出てそう呼びかける男性がいた。バスケ会場にはどこか不釣り合いな、けれどいやにスーツ姿の似合う若い男性だった。後にその男性が、火中の栗を拾いに香川県に来た生岡氏であることを知る。

会場内、よく目を凝らすと、生岡氏はいつも会場の片隅にいた。周りに気を配りながら、選手達、そしてブースター達の表情を真剣に、けれどどこか朗らかな表情で見つめていた。決して目立たないよう、主役はあくまで選手達であることをわきまえた振る舞いに、私は好感を持った。
生岡氏が舵取りをしたファイブアローズは、強かった。無駄な経費を削減しながらも、人件費には投資した。なかなか軌道に乗らなかった観客動員数も、勝ち星を稼ぎ続けるチームの成績と比例して順調に増えていった。けれど、ここまでの道のりを私は全て受け入れる気はない。
私は香川ファイブアローズの「ブースター」であっても、「信者」ではない。時には釈然としない事もあった。特に私は、生岡氏の「別れ方」が嫌いだ。私はいまだにリトルアローズや、旧マスコット・神破命の別れ方に納得がいっていないし、それ以外にも改善して欲しい事があったらいくつかこのブログ内で綴ったりもした。なんとなく、「このブログを読んでいるのかもしれない」と言ったタイミングで、書いたことをすぐに改善する事もあった。けれど別れ方は相変わらず下手なままだった。
生岡氏は今回も、下手な別れ方をすることになった。
クラブの代表者である以上、私個人としては辞任は免れないと思う。「代表」とはそういうものだと、繰り返しになるが私個人としては思う。会社である以上、誰かが何かしらの責任を負わなければならない。そしてそれは、いつだってその集団の代表であるべきだ。そうじゃなければ、部下は伸び伸び働けない。
生岡氏は、一人で会見に臨んだ。きっと、周りの者たちは立ち合いを望んだはずだ。けれど彼は一人を選んだ。その姿は立派だった。正にすべてを背負った「代表」にふさわしい姿だった。そして、やっぱり少し下手だった。

生岡氏。私も、我が家も、あなたの率いた香川ファイブアローズに、確かに熱狂と感動を頂きました。あなたの意志は、次の舵取り役の方へ引き継がれるはずです。
きっと。いや、絶対に。
香川県に、プロスポーツの熱狂と感動を。
生岡社長。この数シーズン、香川県に熱狂と感動を届けてくれて、本当にありがとうございました。
また会いましょう。会場の片隅で。









