
6月。雨。3年。
私がこうしてブログを書き、株式投資をし、「自分なりに一生懸命生きよう」とマインドを変えるきっかけを与えてくれた、当時働いていた職場の同僚の自死から、間もなく3年が経つ。6月の何だか物寂しい雨の音を聞きながら夜を過ごしていると、多くの後悔が胸に去来する。結末をもって振り返ると彼は少し前から遠回しのSOSを出していて、しかしその激流の渦中に一緒にいた私は自分の事に精一杯で、彼のSOSに気付くことが出来なかった。
「ああ言えばよかったな」とか「こうすればよかった」とかが幾度となく頭に浮かんでくるが、結局そんなのは後の祭りで時は戻せないが、それでも私はこうして年に一回、このブログで懺悔の記事を綴る。せめて第二の彼を少しでも減らせたらいいなと思いながら。
この記事の目次
死
思春期の頃の私はそれなりに「尾崎豊的」な拗れた少年で、それはそれは今にして思うと厄介だった。時は世紀末。バブルが弾けいつ終わるのか分からない不景気も板に付いてきた日本には「ノストラダムスの大予言」なんて終末思想が蔓延ったり、変な宗教団体が世の中を無茶苦茶にしたり、大震災があったりと、何だか分からないけれど「明日」なんてもんにはあまり希望が持てず、日々悶々と学生生活を送っていた。何かをしたいけれど、それが何かすら分からなかった当時の私の隣にはいつも「自死」という選択肢が仄かにつき纏い、そしてそれは「全てを終わりに出来る特効薬」のような魅力を放っていた。
『完全自殺マニュアル』なんて本がベストセラーになったのもこの頃だった。その本は当然の様に私の本棚にも収まっていたが、私は結局その本のお世話になることなく、その「隣に収まっていた本」の言葉を信じて、今を生きる事にした。その本は、中島らも著『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』だった。
『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』
ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。
ー『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』より引用
上記は中島らも本人が浪人時代、共に浪人生だったが自殺した友人に宛てた言葉だ。当時十代だった私は、この一節を読んでから「生きていてよかったと思う夜」を探すようになった。私の人生など大抵の人から見たらゴミクズみたいなものだったが、そんな私でも、めったにはないが「生きていてよかった」と思う夜がいくつかあった。そして私は「その夜」を忘れないよう、都度、律儀に頭の中の額に入れて飾るようにした。人生それなりに長く生きてりゃ何度となく辛くて逃げ出したい事もあったが、その度に私は額に入れた「その夜」を眺めた。不思議なもので確かにその思い出があれば、私は「何とか乗り越えよう」と思えた。
本当はこの話を彼にしたかった。だけどそれはもうどう足掻いても叶わないから、この辺境ブログをここまで読んでくれた誰かへした。どうか「生きていてよかったと思う夜」を探して欲しい。そしてその夜に出会えたら、忘れないよう額にでも飾って、そしてときどき眺めて欲しい。なんだか分からないけれど、そんな単純な事で意外と生きていけるのだ。
あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ。
ー『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』より引用
生き続ける以上、死んだ者とは違い私は少しずつ老いて今よりももっと醜くなっていく。けれど「生きていてよかったと思う夜」は増えていくはずだ。私は中島らもの様に、不器用に生を謳歌する。
「早く死んだりなんかしたから、損してるぞ」と。
合掌。










